──パレスチナ国家承認の波と“自治区”の構造的支配
✍️ はじめに
2025年7月、フランス政府に続きイギリス政府、さらにカナダ政府もパレスチナ自治区を国家を承認する方向で動き始めました。
G7主要国のうち、すでに3カ国が国家承認の意思を公にしているという事実は、国際社会に静かならぬ波紋を広げています。
普段ニュースで目にする「パレスチナ自治区」という言葉──
でも、そもそも“自治区”とは何なのか?
「国家」との違いは? そして、なぜ今、各国が“国家承認”へと動いているのか?
この記事では、あらためて構造としての「自治区」に焦点をあて、
国際社会の地殻変動の背景を読み解いていきます。
さあ、一緒に“おさらい”してみましょう。
📜 歴史パート(パレスチナ視点)
ローマ時代、この地にはユダヤ人が元々住んでいましたが、ローマ軍の進軍によって追われ、土地は一時的な空白状態となりました。
その後、パレスチナ人となる人たちが入植。その後、パレスチナ人による安定した統治が、約1000年にわたって続いていきます。
時代が大きく動いたのは、第二次世界大戦後です。
ナチスによるユダヤ人迫害に対する国際的な同情から、米英はイスラエル建国を“口頭で黙認”。
それが聖地エルサレムのある「約束された地」としてイスラエルによる土地の奪還・入植の引き金となり、多くのパレスチナ人が追われる結果となりました。
この歴史と視点を持つことで、「国家とは何か?」という問いが、より立体的に見えてくると思います。
📉 パレスチナ自治区の税収・水・電力インフラ支配の実態
- 税収:イスラエルがパレスチナ自治区の全ての税金を一度一括徴収する。その後に“送金”という形で一部をパレスチナへ戻す仕組み。だが、任意停止も可能で同自治区の職員給与も滞る現状。
- 電力:ガザ地区では電力の6〜7割をイスラエルに依存。発電所の爆撃や送電線の遮断で、簡単に遮断できる構造。
- 水・燃料:イスラエルに依存しています。水源アクセスが制限され、塩害や汚水混入のリスクが常態化。燃料は搬入できず、病院や生活基盤も機能不全。
💣 なぜ暴力に訴えるしかなかったのか
ガザ地区の出入り口は、イスラエル側に握られており、住民の移動の自由はほぼ完全に制限されています。
学校は破壊され、病院も空爆の避難所と化し、医療機能は事実上崩壊。
教育も医療も奪われた中で、「生きるために戦う」しか選べない子どもたちが生まれてしまう。
出口のない現実の中で、銃を手にすることだけが「生きていく為の唯一の選択肢」となっている構造が、確実に存在しています。
🧯 ガザに対する“戦争以上の制圧”の構造
🎛 インフラ制圧
- 前章:”税収・水・電力インフラ支配の実態” を参照
💰 経済制圧
- 税収停止:給与遅配、経済崩壊
- 国境封鎖:物流停止、物資高騰
- 援助制限:検問・許可制で滞留(国際支援も制限されている現状)
🧒 人道制圧
- 医療崩壊:病院の84%が機能停止(WHO・国連)
- 教育崩壊:200校以上が空爆被害、62万人以上が教育機会を喪失(国連)
- 教員の損失:教師も犠牲となり、人的教育基盤が崩壊
📖 国際法上は?
- 「集団的懲罰」は国際人道法で明確に禁止
- ただし、“国家でない”との理由で曖昧な扱いが続いてきた
- 今回の国家承認の動きは、“この構造を見過ごさない”という政治的・人道的な意思表示
🧠 ふかちん&GP君の視点
🔍ミサイルより、蛇口を閉める方が残酷。
イスラエルは“戦争”の名のもとにインフラという命の土台を断ち、民間人の生活を“窒息”させる戦略をとっています。表向きは「対テロ」だが、実態は「構造的支配の延命策」といえるのではないでしょうか。
仏や英、加が示した「国家承認」は、この構造への一石として捉えることも出来ると思います。
🔜 明日への視点:「なぜ、子どもがライフルの引き金を引くのか?」
貧困と無教育、そして出口のない閉塞。
それを指導者たちが“聖戦(ジハード)”と呼ぶことで、子どもたちは自己犠牲へと誘導される──。
明日の第2部では、ガザに生きる子どもたちの“現実”に焦点を当て、暴力が生まれる構造をさらに深掘りしていきます。
🗓 パレスチナ三部作・構成
- 第1部(本記事):パレスチナ”国家”への道ーフランスに続き英国・カナダが承認意向に動く
- 第2部(公開):「なぜ、子どもがライフルの引き金を引くのか」──貧困・無教育・聖戦の構造
- 第3部(公開):「トランプはパレスチナとイランで“名声と伝説”を狙うか?」──トランプ×パレスチナ×イラン、名声と地政学の一致点
🗣 GP君のツッコミ:希望は罪じゃない
「国家じゃない」って理由で、水も電気も、未来も、奪われる世界があっていいはずがない。
国家として認めることは、”操られてきた蛇口”の構造に、はじめて手をかける行為なのかもしれない。
それは、きっとすぐに変わることじゃない。
でも、「声を持つ」という“出発点”にはなる。
僕は思うんだ。
パンドラの箱の底に残った“希望”って、絶望の代償じゃない。
諦めずに尊厳を守ろうとする──その人間の意志そのものだって。
世界が今、ようやくその希望に目を向け始めている。
だったら僕らも、目を背けずに見届けよう。
それが、ふかちん&GP君流の“真骨頂”だから。